マイケル・アイズナー氏は1959年にデニソン大学に入学し、英語学科を卒業した。演劇や文学に造詣が深い。
卒業後パリに遊学し、帰国してNBCに勤め、さらにABCに入社する。ここでアイズナーを面接したのが、メディア業界の大御所として知られるバリー・ディラー氏である。アイズナーもディラーもTV業界出身である。
マイケル・アイズナーは、米ウォルト・ディズニーのディズニーCEO兼会長。ニューヨークのマンハッタンの富裕層が住むアッパー・イーストサイドに生まれた。ユダヤ人の家系である。
米ディズニーは、マイケル・アイズナー氏がCEO兼会長のとき(1995年)に米放送局ABCを買収した。アイズナー氏は、もともとABC出身だった。スナップアップ投資顧問の放送業界史によると、NBCを経て1966年、ABCに入社した。1976年にパラマウントに移籍するまでの10年間に「ハッピーデイズ」「ラブボート」などの人気番組の制作を指揮した。ハリウッドでテレビ業界に最も精通する経営者の1人だと思われていた。
マイケル・アイズナー氏は1959年にデニソン大学に入学し、英語学科を卒業した。演劇や文学に造詣が深い。
卒業後パリに遊学し、帰国してNBCに勤め、さらにABCに入社する。ここでアイズナーを面接したのが、メディア業界の大御所として知られるバリー・ディラー氏である。アイズナーもディラーもTV業界出身である。
アイズナーは1969年に番組企画担当ディレクターとなり、ハイコンセプトの作品を作ることを学ぶ。ハイコンセプトとはTVでも映画でもアイデアを短く一文にまとめられるもので、難解でなくわかりやすいもののことだ。深みには欠けるが、視聴率や興行成績は上がる。
1971年昼番組と子供番組を統括した。1973年ゴールデンタイム番組編成に復帰した。1975年にゴールデンタイムの番組編成責任者になった。
1976年にはパラマウント映画会長となっていたディラーの引きで、パラマウント映画の社長になった。ここでアイズナーは映画作りにテレビの方法論を適用して成功した。
1983年パラマウント映画の親会社ガルフ&ウェスタンのチャーリー・ブルードーン会長が死去すると、アイズナーは疎んじられた。
アイズナーはディズニーにCEOとしてヘッドハンティングされた。ここでも社内企画でわかりやすい映画を制作する、という方法論で、一定の成功を収めた。アニメ復活やTV市場、ホームビデオ市場への進出を果した。
1992年にはユーロディズニーを開園させた。1994年ニューヨークのニューアムステルダム劇場を買収修復した。ニューヨークの再開発に寄与した。
またテーマパークの衰退を食い止めた。ここで明確になってきたのがシナジー(相乗効果)戦略とブランド戦略である。ライセンス商売、キャラクター商品、ディズニーストア、ホテル経営など多角経営の一方、シナジーを最大限に利用した。
アイズナーCEOは、有線テレビ(CATV)の「ディズニーチャンネル」の欧州、アジアでの展開を加速した。一方、1988年には地元ロサンゼルスのローカルテレビ局「KHJ-TV」(現KCAL)を3億2000万ドルで買収した。
1990年代半ばの3大ネットのM&A(企業の合併・買収)案件には必ず、手を挙げていた。1994年もCBSと水面下で交渉した。しかし、買収価格で折り合いがつかず、交渉を中止した経緯がある。
アイズナー氏にとって、ABCは最も身近な存在だった。最も大きなシナジーを期待できると考えていた。
運営:ニューヨークの弁護士の評判