経歴・プロフィール

マイケル・アイズナー氏は1959年にデニソン大学に入学し、英語学科を卒業した。演劇や文学に造詣が深い。

卒業後パリに遊学し、帰国してNBCに勤め、さらにABCに入社する。ここでアイズナーを面接したのが、メディア業界の大御所として知られるバリー・ディラー氏である。アイズナーもディラーもTV業界出身である。

テレビのディレクター出身

アイズナーは1969年に番組企画担当ディレクターとなり、ハイコンセプトの作品を作ることを学ぶ。ハイコンセプトとはTVでも映画でもアイデアを短く一文にまとめられるもので、難解でなくわかりやすいもののことだ。深みには欠けるが、視聴率や興行成績は上がる。

1971年昼番組と子供番組を統括した。1973年ゴールデンタイム番組編成に復帰した。1975年にゴールデンタイムの番組編成責任者になった。

パラマウント映画の社長に就任

1976年にはパラマウント映画会長となっていたディラーの引きで、パラマウント映画の社長になった。ここでアイズナーは映画作りにテレビの方法論を適用して成功した。

1983年パラマウント映画の親会社ガルフ&ウェスタンのチャーリー・ブルードーン会長が死去すると、アイズナーは疎んじられた。

ディズニーの経営トップに

アイズナーはディズニーにCEOとしてヘッドハンティングされた。ここでも社内企画でわかりやすい映画を制作する、という方法論で、一定の成功を収めた。アニメ復活やTV市場、ホームビデオ市場への進出を果した。

ユーロディズニー開園

1992年にはユーロディズニーを開園させた。1994年ニューヨークのニューアムステルダム劇場を買収修復した。ニューヨークの再開発に寄与した。

またテーマパークの衰退を食い止めた。ここで明確になってきたのがシナジー(相乗効果)戦略とブランド戦略である。ライセンス商売、キャラクター商品、ディズニーストア、ホテル経営など多角経営の一方、シナジーを最大限に利用した。

ディズニーチャンネルなどテレビ事業を強化

アイズナーCEOは、有線テレビ(CATV)の「ディズニーチャンネル」の欧州、アジアでの展開を加速した。一方、1988年には地元ロサンゼルスのローカルテレビ局「KHJ-TV」(現KCAL)を3億2000万ドルで買収した。

1990年代半ばの3大ネットのM&A(企業の合併・買収)案件には必ず、手を挙げていた。1994年もCBSと水面下で交渉した。しかし、買収価格で折り合いがつかず、交渉を中止した経緯がある。

アイズナー氏にとって、ABCは最も身近な存在だった。最も大きなシナジーを期待できると考えていた。